鮎子が「放心状態木村氏」として活動していたころは、氏を40代ぐらいのテロリストか悪魔だと思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、中の人は音大に通う華奢な女の子だった。
僕が高校2年生(童貞)という言わば子供の頃に出会ったため、より大人っぽく見えてしまっていたのかもしれない。
しかし実際は2歳ほどしか年齢差が無かった。
鮎子は僕のことをどう見ていたかはわからないが、僕としては年齢差の精神的なギャップが埋まるまで随分と時間がかかった。
これから綴る内容は、お互いが色々と分別のつく社会人となってからの話。
先に断っておくが、鮎子との肉体関係を結ぶような結末はないのでそのホタテみたいなちんちんは閉まっておいてほしい。
大学卒業
この頃までは鮎子ともまだ連絡を取り合っていた。
僕が無事卒業そして就職できるのかを鮎子が勝手に心配していたからだ。
卒業と、東京の企業へ就職が決まったことをメールしたら、すぐに電話がかかってきて開口一番に「初任給で奢ってね」と言われたことを覚えている。
お互い都内だし月2ぐらいで食事とかできるね~なんて、まるで遠距離恋愛のカップルのようなことも言われたが、都内のどこに住んでいるかは未だ不明だったし、社交辞令だと捉えていた。
社会人1年目
とにかく毎日が勉強で、朝は早く夜は遅い生活の連続だった。
上司や先輩には常々小言を言われ、慣れない満員電車に揺られ、中野坂上にある狭い1Kの部屋に帰る毎日。
精神的にも肉体的にも疲弊していたが、身近に逃げられる場所も無いため日々自分で自分を鼓舞するしかなかった。
その頃は鬱を甘えだと思っていた節もあり、競争の激しい同期内で鬱休職が発生すると、すごく爽快な気分になっていた。
負け組め、と。
自分はまだ負けないぞ、と。
大学時代から愛用していたバイクを持ってきていたため、休日は気分転換に都内のいたるところを走り回っていた。
走行中はヘルメットの中で「さわやか三組」を大声で歌うのが慣例。
仕事と、生活と、メンタル維持、この3つで精一杯だったので、鮎子の存在なんてすっかり頭の中から消え去っていた。
東日本大震災
夜勤明けで寝ていると、突如ベッドが跳ね回るような感覚で起こされた。
東日本大震災が起こった日だ。
幸い部屋の中が少し散らかったぐらいで人的被害は無かったものの、ニュースの映像を見れば見るほどとんでもない地震が発生したことを理解できた。
夜になると、新宿駅や渋谷駅周辺で帰宅難民が続出というニュースが流れていた。
その頃は中野坂上から千葉ニュータウンまで通っており、夜勤明けでなく通常勤務だったらと思うとゾッとした。
とはいえ被災の当事者ではないため数時間も経てば日常に戻ってしまうわけで。
なおかつ会社からは自宅待機の連絡も入っていたこともあり、気楽にオナニーでもしようかなとパンツを降ろした時だった。
鮎子から電話がかかってきた。
「渋谷で立ち往生しているんだけどまだバイク乗ってる?迎えに来てくれない?」
電話口の声は少し憔悴している感じがしたため、断るわけにもいかず。
泣く泣くパンツを履きなおし、渋谷へ向かった。
鮎子の探索
渋谷へ向かう道中、様々なことを考えた。
中野坂上(渋谷に近い)に住んでいることを教えていないはずなのに何故僕に頼ってきたのだろう。
親や恋人、知り合い、優先度の高い順から辿って何番目でネット界隈の友達である僕に行き着いたのだろう。
数年ぶりに会うのに、渋谷のど真ん中で見分けがつくだろうか。
相変わらず不可解というか、謎に満ちた人だなと思いながらスクランブル交差点あたりに差し掛かったところ、四方八方が人だらけで、とてもじゃないがこちらから見つけるのは困難だった。
事前に鮎子からはTSUTAYA付近の道路沿いに立っていると聞いていたが、渋谷なので派手な髪をした女性が沢山おり、予想通り見分けがつかなかった。
こちらから場所とバイクの特徴を伝えたところ、金と青が入り混じった巻き髪の女が信号を無視して近づいてきた。
「かっこいいじゃん、濡れたわ」
まさか青髪になっているとは予想外で、またしてもたじろいでしまった。
鮎子の自宅
運転しながら聞いたら、鮎子の自宅は永福町だという。
中野坂上からは5kmほどなので、意外に近場に住んでいたことがこの時判明した。
途中鮎子が身体で払えばいい?などと言って胸を背中に押し付けるような動作をしてきたが、オナニーを断念してまで迎えにきた身としては全神経を背中に集中するしかなかった。
小ぶりなくせに、やけに柔らかかった。
鮎子の自宅に着くと、黒猫がお出迎えしてくれた。
すごく人懐っこく、僕の足元に纏わりついてニャーニャーと鳴いていた。
鮎子は僕がいるのもお構いなしにスウェットに着替え、無言でテキパキと家事をこなしていた。
無事送り届けたしそろそろ帰ると伝えたところ、「メシを食いに行こう」と。
どうせ明日は休みだし、飲んで泊まっていけばいいじゃんと。
この時、悪いなとか、そんな深い関係でもないのにとか、そう思う前に、ちんちん洗ってくればよかった、という後悔の念が頭を埋め尽くした。
鮎子との外食
近所だから徒歩で行こう、という鮎子についていくことになったが、少なくともバイクで到着した時には近隣に飲食店のようなものは見当たらない、閑静な住宅街だった。
この辺りに飲食店なんてあったかな?と聞こうとした矢先、「着いたよ」と指を差した先はスナックだった。
スナックで飲食を済ますなんて荒みすぎだろと思ったが、この時ふと鮎子の母親がスナックのママだということを思い出した。
恐らく母親繋がりの知り合いのお店なんだろうなと納得した。
店内に入ると、10畳ほどの店内の隅にポツンと老人が座っているだけで、カウンターにはママらしき中年女性とコップを洗っている中年男性のみ。
「あらあう子じゃらい(あら鮎子じゃない)」
そう言うと、やたらと細いタバコをかき消してフラフラとこちらに近づいてきた。
「あららしい彼氏くん?(新しい彼氏くん?)」
と聞かれ、説明するにもややこしいなとか考えている内に鮎子が首を縦に振っていた。
今や鮎子も僕も大人同士なわけで、年齢差もそこまでなく、少し奇抜ではあるけど美人ではある。
悪い気はしなかった。
二人とも何も食べていないと鮎子が伝えたところ、ママは「ちょうろすき焼きするから◎$♪×△¥●&?#$!(丁度すき焼するからつつきなさい)」と言い、コップに並々と注がれたウィスキーのようなものを飲み干していた。
すき焼き
コップを洗っていた中年男性がテキパキと食材やコンロ、土鍋をテーブルに運び、割り下を作り始めた。
不可解だったのが、ポツンと座っていた老人の席で準備を始めたこと。
思わず、この老人と一緒に食べるの!?という表情をしてしまったが、隣を見たら鮎子も同じ顔だった。
鮎子は、焼きそばとかすぐできるものでいいよと必死にアピールしていたが、ママはほにゃほにゃ言いながら怒っていたため却下だったようだ。
すき焼きが出来上がるまで手持ち無沙汰だったこともあり、勇気を出してその老人に話しかけてみた。
名は大塩、年齢は秘密とのことだ。(見た感じ80代)
すでにベロンベロンだったが、どうやらすき焼きの肉を持参したのがこの大塩さんだったようだ。
なので大塩さんこそ「こいつらも一緒に食うのかよ!?」という気持ちだったろう。
タイミングが遅くなったが、大塩さんに感謝の言葉を述べた。
大塩さんは無言で微笑みながらグラスを掲げていた。
ママの新事実
すき焼きをテキパキ準備している中年男性は、林さんと言うらしい。
自分で語っていたが、客として通っている内にママに一目ぼれし、従業員になってしまったようだ。
本人曰くすでに事実婚のようなもの、と言っていたが、少し胡散臭かった。
林さんがママに向かって「出来たぞ!」と声を上げると、ママはカウンターの奥から千鳥足でこちらに向かってきた。
途中途中、壁や椅子に手をつきながらゆっくりと近づいてくる様を、誰も手を差し伸べずに固唾を飲んで見守っていた。
林、見てないで助けに行けよと思った。
ママが席に着くなり、「しらたき~」と叫び、林が白滝を器によそって渡していた。
大塩さんに再度感謝の言葉を述べて、我々もすき焼きを頂いた。
ママは白滝もまともに啜れないほど泥酔していたし、林さんは無口だし、大塩さんは一口も手を付けず天を仰いでフニャフニャ言っているしで、ちょっとというかとても空気が最悪だった。
鮎子はよほどお腹が空いていたのか、大塩さんの分も残さない勢いで肉を食べていた。
気まずくなってしまい、「鮎子とママさんっていつからの付き合いなの?」と鮎子に聞いたところ、
突然ママがムクリと起き上がり
「精子の頃からよ!」
とはっきりとした滑舌で叫んで笑っていた。
どうやら本当の親子関係だったようだ。
鮎子自身はバツが悪そうだった。
シホという女
この場に連れてきた張本人は鮎子だから、流石にママが親であることを隠したかったわけではなさそうだが、あまり母親のことを良くは思っていないような雰囲気だった。
鮎子が昔掲示板での荒らしに見せた時のような、冷徹で気持ちが冷めているかのような、そんな態度で接していたから。
すき焼きを食べ終わったころ、突如20代後半ぐらいの女性が入店してきた。
(大塩さんは結局一口も食べなかった)
ママが「おせぇよ!」と怒鳴っていたところを見ると、接客担当の従業員のようだ。
その女性は「TV見てねぇんかよ!!」と怒鳴り返していて、林さんは「口の利き方!!」と更に怒鳴り返していて、非常に治安が悪かった。
私服からドレスのようなものに着替えたその女性は、シホと名乗っていた。
席に着くや否や、「大塩死んでんじゃん」と言い、僕の隣に座り直した。
シホは、所謂ドン・キホーテの駐車場を溜まり場にしているような輩タイプで、正直苦手だった。
初対面とか敬語とかそういう概念が全くなく、良く言えば誰にも物怖じしない。
悪く言えば非常識な低能女。
話を聞いているとどうやら鮎子とは昔からの知り合いらしく、鮎子のことをよくイジメていたと笑って話していた。
鮎子はシホの話に一切反応せず、ひたすら水割りを飲んでムスっとしていた。
いつも明るく我が道を行く鮎子がこんなにも大人しいのだから、よっぽど嫌いであることは想像に難くなかった。
カオス
しばらく経ち、シホも、鮎子も、僕も、酒が回ってベロベロになってきたことと、先ほどから何故か大塩さんが復活して饒舌になったこと、加えてママと林さんが痴話喧嘩を始めたことで、場は混沌としていた。
シホ・鮎子・僕のゾーンでは、鮎子へのしつこい人格攻撃に我慢の限界が来た僕とシホとで罵りあっていた。
鮎子は隣で号泣しており、話の流れを全く分かっていない大塩さんが「女の涙にゃ弱いんだ」と言いながらニヒルに冷めたすき焼きを啜っていた。
シホは僕との喧嘩のさなか、「ジジイは黙ってろや!」と大塩さんに向かって暴言を吐き、それを遠巻きに聞いていた林さんが「口の利き方ッ!!」と叫びながらカウンターの中から何かを投げた。
その何かとは大塩さんの座席の数十センチ横にぶっ刺さったハサミだった。
一瞬の静寂の後、大塩さん以外の全員で阿鼻叫喚。
警察に突き出せだの、土下座しろだの、指詰めろだの、バラバラだった3人が全員同じベクトルに向かってエネルギーを放出できた瞬間だった。
一方大塩さんは、飛んできたハサミを使って肉を食べやすい大きさに切っていた。
大塩さんという男
その後、シホが林と単騎決戦し始めたため、僕は大塩さんの隣に移動し不快な思いをさせてしまったことを詫びた。
大塩さんは「まずは飲もう」と言い、僕のグラスに水割りを作ってくれた。
大塩さんの肝の据わり方に感銘を受けた僕は、大塩さんの過去について俄然知りたくなってしまった。
こちらのそのような表情を読み取ったのか、大塩さんは突如自分語りを始めた。
とはいえその自分語りはかつての日本経済の話から始まり、大塩さん自身の素性を詳らかにするまで時間がかかりそうだったため、単刀直入に「かつてどんな仕事をされていたのですか?」と聞いた。
この肝の据わり方から推察するに、軍関係か警察関係だろうと思っていたが違った。
実は教師~ホームレス~郵便配達員という異色の経歴の持ち主だった。
教師からホームレスになる経緯も謎だが、ホームレスから這い上がるバイタリティも中々のものだ。
とはいえ先ほどの混沌とした一幕についても一切動じなかったのは流石でしたと称えたところ、「おむつ履いているから大抵のことは大丈夫」と言って唾を飛ばしながら高笑いしていた。
撤退
鮎子が僕にもたれかかって寝始めたので、ママにお礼を言って店を後にした。
鮎子は歩くのも困難だったため背負って帰ることにした。
本日二度目のおっぱいチャンスを堪能した。
家に着き、鮎子をベッドに寝かせ、ニャーニャーとアピールしている猫に餌をやり、ソファーを借りて床に就いた。
こちらもベロベロなのでやましい気持ちは無かったが、なんて紳士的なのだろうかと自分で自分を称えた。
暗い部屋で今日の出来事を回想していると、鮎子がボソっと「今日はありがとう、嬉しかった。」と呟いた。
「お疲れ様」とだけ返し、就寝した。
人肌が恋しいだろうと思ったのか、代わりに猫が僕の毛布の中に入って、添い寝をしてくれた。
つづく。