肥溜めの中に咲く...

すべてを無に帰す臭さを発明しました

鮎子という女②

僕が子供から大人へと徐々に成長していく過程で、鮎子の中に潜む闇が少しずつ理解できるようになってきた。

 

例えば鮎子がよく話題に出す声楽家の年老いた教授についてだが、傍目に見ても生徒と教師の関係では無さそうだった。

なぜなら二人で熱海旅行に行っていたり、誕生日を祝い合っていたり。

鮎子は父親や祖父の代わりのような存在、と言っていたが、当時高校生の僕ですら不健全かつ奇妙な関係性だと感じていた。

 

鮎子と会話を重ねるごとに少しずつ素性が明らかになっていった。

母親は近所でスナックを経営しているとか、弟は身長が150cm台なのに暴走族の総長だとか。

しかし父親の真実については一切語らない。

 

時にアメリカ米兵で戦死したとか、時に獄中にいるだとか。

その時々、薬がキマっているときに限り明らかに嘘の父親を語る節があった。

 

きっと鮎子の闇の根源はそこにあるのだろうと、密かに推察するほかなかった。

 

 

吉報

それはそうと、この年には非常に喜ばしい出来事があった。

とうとう童貞を卒業した。

 

お相手は隣の市の1つ上の先輩。

当時部活の大会会場で意気投合し、プライベートでも二人で遊ぶようになった。

 

不思議なことに、何回かのデートを重ねるごとになんとなく「あ、次はその日な気がする」と直感が働くもので。

朝一に、和菓子職人のような繊細かつ機敏な手さばきで息子を洗い。

昼過ぎに、イギリス紳士のような昂然さを備えつつ武士のような士魂を彷彿とさせるような所作で事前にコンドームを買い。

 

そしてマジックアワーな時間帯に、宇都宮市の川沿いのベンチで卒業を果たした。

今思い返しても文句のつけようのない、無駄のない見事な流れでの卒業だったと思う。

 

 

非童貞の心理変化

童貞を卒業できたことで、自分の中で制限のかかっていたスキルにアクセスできたような感覚があった。

凄みのような、余裕のような。

とにかくこの成功(性交)体験のおかげで、大人に一歩近づけた喜びをひしひしと感じていた。

 

そんなプライベートの充実もあり、鮎子への熱も冷めつつあった。

おかげで、鮎子と教授の不純な関係についても一歩引いた位置から冷静に分析ができたし、異様さにも気づくことができた。

 

鮎子の研究

熱は冷めつつあれど、鮎子という人間の奇妙さには依然惹かれるものがあった。

鮎子のこれまでの言動などを回顧すればするほど、一般的な女性の枠には収まらないことは明白だったから。

 

なんというか鮎子の中に潜む二律背反性な部分を、個性や才能で結論付けるには違和感があった。

そこで僕は図書館やインターネットで様々な精神障害について調べたところ、「双極性障害躁うつ病)」という病名に行き着いた。

 

 

躁転の鮎子

躁転状態の人間の挙動というのは、本やインターネットで見聞きした以上の驚きがあった。

 

ある日の深夜、鮎子と魚卵氏とSkypeで会話していたところ、映画「SAW」の話題になった。

劇場公開が終わってしばらく経った頃なので、そろそろレンタルショップに並ぶだろうと。

どうせならこの3人で一緒に見たいから私の家においでよと。

 

当時まだ栃木の片田舎で親の庇護のもと生活していた僕としては、DVD一本観るためだけに東京まで単独で行くには体力的にも金銭的にもハードルが高く、丁重にお断りをした。

 

しかし鮎子は一歩も引かず、「じゃあ今から魚卵氏に車出してもらってそっちに行くから片付けしておけ」と。

 

魚卵氏も困惑していたし、当然僕も親になんと説明すればよいかと困惑したが、移動手段担当と場所担当の返答も待たずに鮎子は準備を進めていた。

これが躁転の行動力なのかと呆気にとられた。

 

 

鮎子との対面

予定時間の朝9時ごろ、非常に眠たそうな魚卵氏とジャガリコを片手に持った鮎子が家の前に到着した。

魚卵氏はいかにもクリエイターなすらっとした大人のお兄さんで、真っ先に「押しかけてごめんね」と東京の手土産を渡して謝っていた。

鮎子はバリ風の極彩色な布やアクセサリーを身に纏っており、どこか中島美嘉に似た雰囲気があった。

 

うちの母に挨拶を済ませたあとは、ピアノを始めたばかりの妹の前でピアノの腕前を披露してくれたり、身に着けていたアクセサリーを妹にあげたりと非常に好印象だった。

しばらく放っておいても大丈夫そうだったので、僕と魚卵氏で近所のTSUTAYAへDVDを借りに出かけた。

 

魚卵氏の心境

大人の男性と会話するのも、また違った意味で緊張した。

魚卵氏はとても温和で落ち着いた大人だったが、少し事なかれ主義なところがある気がした。

今回の鮎子の提案にはっきりとNOと言えなかった自分のせいで君を巻き込んでしまった、と謝っていたから。

こういうことは初めてではなく、実は僕の知らないところで頻繁にこき使われているそうだ。

魚卵氏はそろそろそういう変な関係を解消したいと吐露していた。

 

目的のDVDを借りるついでに何か欲しいものはあるか?と聞かれたが、さすがに遠慮して「何も無い」と答えた。

魚卵氏は「まぁそうだよね」と答えて一人どこかへ消えて、レンタルDVDの袋と、もう一つの紙袋を持って出てきた。

 

これは「俺からのプレゼント」と渡されたのは、レンタルではなくパッケージ販売モノのAVだった。

タイトルは濃厚接吻スペシャルとかなんとかで、後にこのDVDがきっかけで僕の性癖の根幹が構築されることとなった。

 

 

DVD鑑賞

僕の自室でDVD鑑賞が始まった。

といっても画面をしっかり観ていたのは僕一人だった。

魚卵氏は寝ずの運転が祟ったのか僕のベッドで爆睡しており、鮎子はジャガリコを食べながら僕の中学アルバムを開いて「こいつとならヤれる」とか呟いていた。

 

途中、体育座りして鑑賞している僕のほうへ鮎子が擦り寄ってきて、「魚卵寝ちゃったね」と言いながら僕の肩に頭を乗せてきた。

 

すでに非童貞であるというある種の防壁を備えていても、非常に勃起した。

 

普段の勃起とは比べ物にならないほど、加速度的に、超硬度で、パンツどころかジーンズを破壊する勢いで、鈍い痛みとともにミチミチと嫌な音を立てながら、非常に勃起した。

 

冷静を装う僕は「うん」と一言だけ返し、鮎子の頭皮から漂うシャンプーの匂いを堪能した。

 

彼女らが帰ったあと、非童貞の看板を降ろすべきかどうか悩んだ。

 

 

鮎子の晴れ舞台

あれから半年後、僕は無事大学へと進学した。

童貞を奪ってくれた年上の彼女とは、距離の問題で泣く泣くお別れをした。

僕の人生において一番のブーストをかけてくれたのはその彼女であることは確かなので、当時も勿論のこと今でも感謝している。

お元気に暮らしていますか。

 

モラトリアムな大学生活を楽しんでいたある日、鮎子から直電が入った。

「来週声楽科のコンサートがあるからおいでよ」と。

 

会場は渋谷にある教会のようなコンサート会場。

鮎子の友人であることを告げるとすんなりと一番前の席に通してくれたが、実は一般入場料は2,500円ほど取っていたようだ。

 

プログラムは豊富で、混声デュエットやカルテットなどの様々な構成で、終始何語なのか分からない厳かな曲ばかりだった。

鮎子は金髪巻き髪に黒とピンクのドレスを纏っており、まるでキャバ嬢だった。

しかしながら鮎子のソロパートは流石と言わざるを得ず、ホールに反響する声の美しさに鳥肌が立った。

 

目を丸くしながら見とれる僕に向かって、時折はにかむ鮎子が少し可愛く感じてしまった。

 

コンサート終了後、鮎子に呼び止められ少し待つように言われた。

会場のベンチで待っていると、鮎子とその他大勢がガヤガヤと近づいてきて、断る間もなく近所の中華料理店に連れていかれ、なぜか打ち上げに僕も参加することになった。

 

無関係な打ち上げ

全くの部外者の大学生がこの場にいることに最初はみんな驚きつつ笑っていたが、鮎子さんの知り合いなら誰が居ても仕方ないよな、と誰かが口にした途端、その場にはこれ以上追及しても仕方ないといった空気が流れた。

 

恐縮しまくる僕に、知らないお姉さんやお兄さんが料理を取り分けてくれたり、理系大学に通う僕をやたらと持ち上げてくれたりと、ゲスト以下の存在なのに手厚いおもてなしをされてしまった。

 

その間鮎子は紹興酒を片手に例の教授の隣で騒いでおり、この場に呼んだ当事者のくせに責任感は無いのかよと少し遺憾に思った。

結局僕は終始知らないお兄さんお姉さんの卓でよくわからない話に相槌を打つしかなく、これが社会なのかと痛感した。

 

宴もたけなわとなった頃、突然スーツ姿の30代ぐらいのおじさんが同じ卓に座った。

音大の職員か、会場の職員どちらかだろうと思っていたが、実はある広告代理企業の役員兼スポンサーだと隣のお姉さんが教えてくれた。

そのおじさんは何故か僕に興味津々で、僕に関することを根掘り葉掘り聞かれ、しまいには大学卒業後はうちにおいでよとリクルート活動までされた。

 

当時僕はその広告代理企業がどれほど名の知れた会社か分かっていなかったが、こんな訳のわからない場所でリクルートするなんて随分安い会社だなと思ってしまい、会社名も聞かずに本気にしなかった。

 

後日鮎子に聞いたら、あの電〇の役員だったことを知り、少し後悔した。

それと同時にそのスポンサーを見つけてきたのは鮎子だということも知り、鮎子のコネクションの広さとそこに内在するであろう闇に身震いした。

 

つづく。